味覚の閾値

世の中、ラーメン好きで溢れている。さすがに三十代ともなると飲み会後にラーメンでシメるということは無くなったが、周囲を見渡せば相変わらずラーメン道を極めんとする友人・同僚は数多い。皆さんの周りにも、そういう人が何人かはいるだろう。

そんなラーメン通から、旨いラーメン屋を紹介してくれないかと言われたら、パッと応えられるだろうか。

色々な店を訪ねてきたが、私は不味いラーメンというものに出会ったことがない。たまたまそういう店に入ったことがないだけなら幸せだが、それは多分違う。サービスエリアやゲレンデにあるような、値段の割に『素っ気ない』ラーメンでも普通に旨いと思っているので、本当は味覚音痴なのかもしれない。いや、味覚の閾値が極端に低い、という方が正しい表現なのだろう。

私が愛知に住んでいた頃、自宅から車で1時間半くらいの山奥に、とある道の駅があった。そこに、週末の夜しか開かないラーメン屋があると聞いて、はるばる出向いたことがあった。

その店は、夕闇に沈んだ駐車場の一角にあった。中にある裸電球に照らされて、紅白幕で覆われたテントがぼんやりと浮かび上がっている。そこから時折漏れ出る白い湯気。遠く聞こえる発電機の音。雰囲気は悪くない。そしてその露店の最大の売りは、こたつに入ってラーメンを食べられることだった。時は10月。夜の山奥ともなると、気温は一桁台にまで下がる。

店内(というかテントの中)は、煌々と灯る裸電球の光に満ちていた。テントの中は暖かかったが、時折すきま風が吹き込んできた。冷え切った足をこたつに突っ込むと、指先の方からじわりと熱が伝わる。お湯が沸騰する音に混じって、他の客が静かに麺を啜るのが聞こえる。そして、鼻をくすぐる醤油ラーメンの香り。しばらく待つと、いよいよラーメンが運ばれてきた。メガネが一瞬曇る。黙ってスープを掬い、麺を啜る。熱い。そして、旨い。すきま風を背中に感じながら、そしてこたつの暖かさに守られながら食べるラーメンは、最高だ……!

というような事を、ラーメン通の同僚に話したところ、予想どおり食いつきのいい反応が返ってきた。近いうちに行ってみるとのことだったので、感想を心待ちにしていたのだが、待てど暮らせど音沙汰がない。1時間半も掛けて行くのは、さすがに億劫になったのだろうか。

そう思っていたら、後日、私はとんでもない情報を耳にすることになった。あのラーメンは、平日の真っ昼間から道の駅で供されている、いわゆる普通のラーメンだったらしい。なんてこった。会社の先輩に、片道1時間半掛けて、いわゆる『素っ気ない』ラーメンを食べさせようとしていたとは。

それ以来、私は、ラーメン通のお眼鏡に適う逸品を紹介できる自信が無くなってしまった。どうしても教えてほしいと言われたら、『旨い店』ではなく『特徴のある店』を挙げることにしている。もちろん「旨いかどうかは別にして」という前置きを必ず添えて。

ラーメン通の人々にとっては、玉石混淆のラーメン屋から至高の1店を探し出すことこそが楽しいらしいが、何を食べても旨いと思える私にはさっぱり理解できない。というか、彼らが「あそこのラーメンは不味い」などと言っているのを聞くたびに、味覚の閾値が低いというのは、幸せなことだなぁと思うのである。

仙台にある秘密のラーメン。軍鶏の出汁があっさりしていて美味しい。

コメント

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