『学問のすすめ』は若いうちに読んでおくべき本でした。

読書メモ

先日『生物と無生物のあいだ』の読書メモを投稿しました。再読とはいえ、新書を手にしたのは数年ぶりだったんですね。読み物に関して、私はどちらかというと雑食な方ですが、どのジャンルも均等に割り振って読んでいるわけではないので、長らく遠ざかってしまうようなものもあるわけです。そういうジャンルに久しぶりに触れてみるとやっぱり面白いなあと再認識し、しばらくそのジャンルにどっぷり浸かりたくなる。今回も、生命科学の大発見を遂げた興奮も冷めやらぬまま、次の新書を選びにブラブラと本屋に出掛てきました。

学問のすすめ 現代語訳
近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉の「学問のすすめ」。その歯切れのよい原書のリズムをいかしつつ、文語を口語に移した現代語

『学問のすすめ』。ジャンルは異なりますが、まあ新書つながりということで。

コロナウィルスとか米中関係といった最新の時事問題をテーマにした本が競うようにして並べられる中、どーんと平積みで鎮座しているわけですよ、140年も前の本が(笑)といってもこれは現代語訳版なので、正確な意味で刊行されたのはもっと最近ですが。

青空文庫にアクセスすれば無料で読めますが、何しろあちらはカチコチの文語体で書かれた原文なんですね。いくら一般人向け(厳密には慶應義塾の塾生向け)に平易に書いてあるといっても、難読な文章は私のようなナマケモノにとって、眠気を誘う呪文にしかならないのです。

私はこの本の趣旨を書名の字面どおりに受け取っていたので、いままで食指が動かなかったのですが、『学問のすすめ』の「学問」って、いわゆる普通の「お勉強」ではないんですね。勉強も大切だけど、実生活で役立つことを学んだり世の中の流れを知ることもおしなべて学問だよ、と福沢は本書の中で述べています。

しかもページを捲っていくと、オススメしているのは単に「学問」だけではないらしい。例えば「我々は国民として政府と対等に渡り合っていかにゃならん」とか、「何でもかんでも西洋のものを良かれと思って受け入れちゃいかん」など。要するに本書は、社会人として生きるためのマインドセットを示した指南書というわけです。

もっとも、現在の政府は当時よりもはるかに拡大していますし、国際社会で一定の役割を果たしている今の日本に、西洋に追いつくことを至上命令とする当時の状況を当てはめるのは少々難しい。明治初期に刊行された本ですから、そっくりそのまま受け止めることができないものもありますが、今なお通用する教えも数多くあります。

例えば、福沢は男女差別を明確に否定しています。妻は夫の3歩後ろを付いてくるべし、と言われた明治の時代にあって、男尊女卑を忌むべきものと断じたことは驚嘆に値します。

一方で、令和の時代に目を転じると、未だ女性の格差問題は完全には解消できていない。途中、男女雇用機会均等法が施行されるなどして、格差是正が大きく前進したことは事実ですが、日本の最高額紙幣の顔にもなった国民的な啓蒙思想家が140年も前に主張したことを、私たちは今なお完全には実現しきれていないのです。一万円札を「ユキチ」と呼ぶくらい、私たちは福沢諭吉に愛着を持っているというのに、彼の主張を糧にしきれていないことは、重く受け止めなければならないことです。

福沢諭吉の言葉には、ある種の重みがあります。それは、この人物の主張の正しさからくるものだけではないような気がするんですね。本書を読んでいると、福沢がいかに高い視座で世の中を見ていたかがよくわかります。そしてそういう人物だからこそ、未来の日本人、つまり今の私たちにはそれ相応の進歩を期待しているんじゃないかと思うのです。

ところが、140年後の書店には未だに自分の本が平積みされていて、それをありがたそうに手に取る日本人が山ほどいる。もし天国から福沢がこの状況を俯瞰していたら、きっと肩を落とすかもしれません。まだこんな本に頼っているのか、と(笑)

ですから本書は若いうちに、例えば大学生や新社会人くらいのうちに読み終えて、そこで立ち止まらずにどんどん次に進んでいくべきだと思うのです。自己形成の軸に据えるのはいいですが、この本を目標とするようではいけない。36歳になってようやくこの本を手にした私ですが、読み終わってふとそんなことを考えたのでした。

現代語訳 学問のすすめ
福澤 諭吉 著・斎藤 孝 訳
ちくま新書
ISBN978-4-48-006470-7

あまりに有名な冒頭の部分。「天は人の上に…」は伝聞であり、福沢自身の言葉ではなかったみたいです。

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