味覚の話

世の中、ラーメン好きで溢れている。さすがに34ともなると飲み会後にラーメンでシメるということは無くなったが、周囲を見渡せば相変わらずラーメン道を極めんとする友人・同僚が数多くいる。きっと、あなたの周りにも1人や2人はいることだろう。

そんなラーメン通から、旨いラーメン屋を紹介してくれないかと言われたら、パッと応えられるだろうか。

色々な店を訪ねてきたが、僕は不味いラーメンというものに出会ったことがない。たまたまそういう店に入ったことがないだけなら幸せだが、多分違う。サービスエリアやゲレンデにあるような、値段の割に素っ気ないラーメンでも普通に旨いと思っているので、本当は味覚音痴なのかもしれない。いや、味覚の閾値が極端に低い、という方が正しい表現なのだろう。

自宅から車で1時間半くらい掛かる山奥に、とある道の駅がある。そこに、週末の夜しか開かないラーメン屋があると聞いて、はるばる出向いたことがあった。

その店は、夕闇に沈んだ駐車場の一角にあった。中にある裸電球に照らされて、紅白幕で覆われたテントがぼんやりと浮かび上がっている。そこから時折漏れ出る白い湯気。遠く聞こえる発電機の音。雰囲気は悪くない。そしてその露店の最大の売りは、こたつに入ってラーメンを食べられることだった。時は10月。夜の山奥ともなると、気温は一桁台にまで下がる。

店内(というかテントの中)は、煌々と灯る裸電球の光に満ちていた。テントの中は暖かかったが、時折すきま風が吹き込んでくる。冷え切った足をこたつに突っ込むと、先の方からじわりと熱が伝わる。湯の沸く音に混じって、他の客が静かに麺を啜るのが聞こえる。そして、鼻をくすぐる醤油ラーメンの香り。しばらく待つと、いよいよ運ばれてきた。メガネが一瞬曇る。黙ってスープを掬い、麺を啜る。熱い。そして、旨い。すきま風を背中に感じながら、そしてこたつに守られながら食べるラーメンは、最高だ……!

というような事を、ラーメン通の同僚に話したところ、予想どおり食いつきのいい反応が返ってきた。しかし、感想を心待ちにしながら今日まで過ごしてきたが、待てど暮らせど音沙汰はない。1時間半も掛けて行くのは、さすがに億劫になったのだろうか。

と思っていたら後日、とんでもない情報を耳にすることになる。あのラーメンは、平日の真っ昼間から道の駅で供されている、いわゆる普通のラーメンだったらしい。なんてこった。会社の先輩に、片道1時間半掛けて、いわゆる素っ気ないラーメンを食べさせようとしていたとは。

それ以来、ラーメン通のお眼鏡に適う逸品を紹介できる自信は無くなってしまった。どうしても教えてほしいと言われたら、『旨い店』ではなく『特徴のある店』を挙げることにしている。もちろん「旨いかどうかは別にして」という前置きを必ず添えて。

ラーメン通の人々にとっては、玉石混淆のラーメン屋から至高の1店を探し出すことこそが楽しいらしいが、何を食べても旨いと思える自分にはさっぱり理解できない。というか、彼らが「あそこのラーメンは不味い」などと言っているのを聞くたびに、味覚の閾値が低いというのは幸せなことだなぁと思ってしまうのである。

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