仕事とプライベートの切り分けに関する一考察

スズキ自動車で発生した賃金未払い問題。あの件を受け、似たようなことをやっていた僕の会社でも是正に向けた議論が始まることになったらしい。正面から向き合おうとしている上層部の対応は、僕ら下っ端的にはまぁ評価できる。社会的に問題視されるまで放っておく相変わらずの姿勢はいただけないが。

1日の出退勤の前後には、仕事ともプライベートとも見なせる非常に曖昧な時間がある。問題になったラジオ体操もそうだし、作業服への着替えだってそうだ。通勤そのものも議論の対象になり得るだろう。通勤中の事故が労災になって、通勤手当まで出ているというのに、通勤そのものは仕事ではないとするのが世の一般認識だ。

もっとも通勤を厳格に就業時間と定めてしまうと、退勤後の寄り道が認められないような話になってしまうので、多少曖昧な状態にしておいてくれたほうが、僕ら下っ端としてもありがたい。個人的には、タイムカードを切った瞬間からを仕事の時間とするのが一番わかりやすい落としどころのような気がする。

ところで、仕事ともプライベートとも取れる作業をどちらに位置づけるかは、そのどちらを優先させるかによって判断が分かれる。使役する側(つまり会社)としては、生産性のないところに賃金を支払う気は当然無いので、曖昧な部分は極力プライベートの領域に押し込んでしまいたい。

一方、使役される側の捉え方は、個人の考え方によるところが大きい。「自分の人生、仕事でできてます」なんて人は、曖昧な部分がどこに属していたって別に関係ないので、それほど大きな不満にはなりにくい。年功序列が当たり前だった時代にこうした議論が噴出しなかったのは、人生の目標≒出世というわかりやすい構図が成り立っていたからだ。

他方、「会社での仕事は人生の一部分でしかない」と認識する人にとって、好きな事もできず賃金も発生しないデッドタイムなど、ただただ煩わしい存在でしかない。労働のあり方が実力主義にシフトしている現代において、スキルアップや自己実現に時間を割きたいと願う人は多い。

この問題、内容的にはそれほど目新しいものではない。年功序列から実力主義にシフトしている社会的背景に加え、働き方改革が議論される時代の潮流にたまたま合ってしまったことがクローズアップされた理由の1つだろう。仕事とプライベートの切り分けに関する議論は、今後ますます活発になっていくものと思われる。

在宅勤務が社会的に浸透した暁には、通勤時間が賃金支払いの対象にならないのは不公平だと本気で考える人が出てくるかもしれない。

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